都市大学生の蛇足

日頃考えている事を整理するために書きます。めっちゃ暇な人は足を運んでみてはいかがでしょうか。

大学3年になってする大学デビュー録

どうも、都市大学生です。

今まで注力してこなかったファッションに励もうと邁進している所存です。大学3年にもなって遅いが、せっかく大学生なのであれば、今20代、青春真っ盛りの今ですから、おしゃれするべきだと感じました。

言わずもがなコミュ障の私ですので、告白した回数は仙人Lvに達していますが、彼女なんか微塵もできた事のない童貞であります。ですから、20代の今の熟している収穫時期を逃してしまえば三十路ゾーンに突入してしまう+魔法使いになってしまうわけで、世の60億人余りの女性様たちには私が「今がピチピチで旬ですよ~~~。お買い求めやすくなっております!」とアピールせねばならないのであると最近になって思い始めました。

「恋愛は少女漫画のように、向こうからやってくる」と、何も努力せずに大層な身分で待ち構えている愚者ではないので、女性に振り向いてもらうため、「自分磨きをせねば、自分から行動せねば、相手に関心を持ってもらえない・・!」とわかっています。

余談はさておき、昨日minimoを使い美容院で安くパーマとカットをしてきたのですが、その時の店員が、私の不細工な面長の顔に合う眼鏡を提案してくれ、今のファッショナブルな若人たちがこぞって使っているzozotownの使い方を教えてくださいました。

zozotowmとWEARアプリを使えば、なんか自分にあうファッションとか、流行のファッションとかが中古で激安に手に入れられるのですね。私、ユニクロとかGUとかしか知らなかったので、そういったファッションに精通した人たち(大学でおしゃれな服を身にまとっている陽キャたち)御用達の物流ルートにやっと到達できた気がして、昨日はうれしかったです。「そんなの大学生にとって常識」なんて言われたら死にますが。

そんでもって、調べました。コーディネートのコツは「カジュアルとフォーマルの均衡を保つことが重要である」と。カジュアルがすぎると、子供っぽい印象を与えすぎてダサいし、フォーマルがすぎると、かっちりした印象過ぎて「ビジネスマン??」と思われるそう。だからこそ、そのフォーマルのなかにカジュアルを入れる組み合わせが最強にオシャンティーであるとファッション初心者の私は学習しました。

色の組み合わせですが、ファッション童貞の私に、服のコーディネートのおしゃれの良し悪しなんてわかるはずないので、とりあえずWEARアプリの評価が高い組み合わせを参考にしつつ、黒を主体としてモノトーンの服装にしたいと思います。

なんでこんなに切羽詰まってファッションを学んでいるかというと、まあモテたい、彼女ほしい一転絞りなのですが、なにより近日に女性と飲み会にいく(わんちゃんラウンドワンもあるかも)みたいなイベントが生じるからである。こんな千載一遇のチャンスは他に類を見ないので(私の人生にとって数少ない良イベントかもしれない)、たとえ相手の女性様が私に気が興味関心無かったとしても、その天から降り注ぐ一本の糸に向かって必死にもがきたいのです。

こんな非モテ君のモテロードに乗ろうと邁進する姿を綴るブログなんて見る人皆無だとしても、私は日々の記録として、ダイアリーとして、ここに記したいと思います。

未来の自分よ!!モテていてくれ~~~!

考えすぎてしまう性格の生きづらさ

どうも某大学生です。

最近、考える癖をなくした方が、コミュニケーションがしやすくなることに気が付きました。考えれば考えるほど、頭中で会話のシミュレーションをし過ぎてしまい、会話が億劫になってしまうんですよね。「これ話したら、こう反応してくるかな・・」とか考えてしまうのです。考えないようにするとコミュニケーションがうまくいくのは、酒が入ると会話が弾む人の心理と同じで、とにかく話しかけるハードルが低くなるからです。しかし、考えなくなると、自分の弱みとか自己開示がしやすくなったり、ボケやネタを言いやすくなる半面、相手の事に興味がない自分としては、相手が今何に興味があるのかとか、何を頑張っているのかとか忘れてしまって話題が見つからなくなるんです。

 どこまで考えればよいのかが分からなくなってきました。

 考え出すと止まらなくなって、今日会った友達の会話の中での自分の話や態度を振り返って悶絶したりすることはあるあるなので、あんまり考えないようにしていました。しかし、考えないようにすることも度が過ぎてくると、会話の内容が支離滅裂になってきたりして、天然だねとか、器用貧乏だとか言われる始末でいじられる対象になってきており、最近少しは考えるように意識を向けている所存です。

 しかし、どこまで考えればよいのか・・・。考えすぎると、メタ認知がへたくそな私は、悪い方向にとらえてしまい、鬱っぽくなってきますし、少なくともネガティブになって死にたくなってきます。

 友人との対面では「こうボケたりいじったりしたらおもしろいだろうな」とは考えて会話するのですが、それ以外を考える事は話しかける事のハードルを上げてしまうので考えないようにしています。しかし、そうする習慣が身に付きすぎて、仲間内で勉強する時はグループワークする際も「ボケやいじりを優先的に考えてしまう癖」がついてしまって、あまりそれ以外の事を考える事が出来なくてつらいです。だから、一人で作業した方が能率が圧倒的にあがるんですよね。人前のコミュニケーションのやり方がそれ以外できないせいなのか、生きづらい・・・

 最近、既存のグループの中に、自分が参入して遊ぶようになって、「そのグループで受け入れられるようになろう!でも、がつがつすると引かれるし、自然体で行かねばなあ・・・」とか云々考えてしまっています。

 もうすでに出来上がっていて、旅行とかその仲間内で行ったりしているグループの中に最近参入して遊んでいるのですが、そのグループでの自分の立ち回りとか、メンツの役割(いじられ役とかツッコミ役とか…)を考えてしまいます。

 発端としては、遊んでいる時に自分の知らない近日行く旅行の話をされたり、自分の知らない遊びの約束の話をされたりした時からです。まあ、私が誘われるときは、よく遊ぶメンバーが足りない時に呼ばれる「補欠メンバー」としての立ち回りが多いので、こういうのにはある程度の慣れはありますが、心はささくれ立ってしまいます。生きづらいですね・・・。

 遊びには行くが、旅行には呼ばれない、グループには参加しているが、ラインの別のグループで抜きの遊びが行われている…等々…。いやあ、友達と旅行に行ってみたいですし、誰かの家にお泊りするイベントもやってみたいですなあ。

 百も承知で、原因は私にあるのだとはわかっています。コミュニケーションが以上のようにしかできない。がり勉で、趣味がない為に、会話の接点や趣味で集まるグループとの接点が見つかりづらい。だからこそ、自分をいじってもらうために弱みや自分の痛い過去を自白して笑わそうとしたり、相手の反応で「いや・・」とか逆接をせずに、相手の話に共感する事を徹底したり・・・。つまらない人間だからこそ、相手を楽しませようと努力を積んでいるのですが、「補欠メンバー」になってしまう原因がよくわからないのが現状です。それを2人の時に友人に吐露しても、「お前は面白いからそのまんまでいいよ。」と言われる始末で、原因が自分にあるとはわかりつつも判明できてません。

 一つ、最近見つけた仮説は、ラインをためてしまう癖があるところです。私はラインが大の苦手で、人と話すときにスイッチを切り替えるのと同じで、ラインをするときもスイッチを切り替えねばならないので、疲れてしまうのが目に見えているから、億劫になってラインをためてしまうのです。

 しかし、最近は意識して返すように心がけています。ラインはいつでもできるインターネットのコミュニケーションの場だから、人脈を広げたり深めたりするのに打ってつけなことに最近改めて気づいたからです。

 周りの友達の話で、「ネット友達とライブに行く」話が出てきたり、「ネットで友人とゲーム対戦してる」話をよく聞いていたのですが、ゲームに興味のない私は面倒で手を広げてなかった。しかし、ネットを介するゲームの重要な点は、友人の交流を深めるのに必要な「会話」にあり、その会話がネットを介してよく行われている事にあるのだと気付きました。

 ここまで、この記事を読んでくださる人はいないとは思いますが、読んでくれている皆さんにはこれは当たり前のことなのだと思います。私が最近やりたいと思っている事はこれで、「友達とネットを介して毎日ゲームをやってみたい」です。要は、人とつながっていたいんですよね。

 しかし、そういったゲームって「APEX」とか「スマブラ」とか、総プレイ時間数に比例して上達するゲームが多いので、やはり自分ひとりでプレイしなければならないと思っています。(ゲームに興を見いだせない自分にとって少し苦痛・・)

 やっている友人に上達のすべを教えてほしいと頼むのも親睦の近道だと思うし、人には「教えたい欲」があるし、頼ることの重要さも理解しているのですが、初めてのことなので勇気があまり出ない・・・。

 以上のことも、いろいろ考えて来ましたが(考えすぎて来ましたが)、ゲームって好きだからやっているもので、努力してやる物でもないと思うのです。

 趣味の中に「会話」があるから、こうした価値を見出せている。とするなら、その趣味はなんだっていいはず。

 だから、私は趣味を見出す為にすこし努力をしてみようと思います。まずは、せっかく買ったスマブラの練習でもしてみようかな、と。

 

 

 

 

 

 

 

非モテが語る、コミュニケーションの取り方

どうも、某都市の大学生です。

女性とのコミュニケーションの取り方が分からず、好きな子にスタンプを一年間送り続けたり、SNSで徘徊してマークづけたりと、まあまあ文面からすると社会不適合者感丸出しのわたくしなのですが。それなのに、いっちょ前に彼女ほしいとか切望を極めて渇望しています。カースト下位の自覚をもって、毎日生き恥をしのんで生きてこうと思います。

それはさておき、コミュニケーションの取り方について、この非モテであるわたくしがここに書き連ねようと思います。言語化する事で、自分のコミュニケーションの荒が表面化し、客観視できるのではないかと思っています。

まず、コミュニケーションの秘訣は、共感と展開

自分の弱みをあえてひけらかし、自己開示をすることで、相手に自分を知ってもらい距離を縮める戦法です。ここでは、関係の度合いによって、踏み込む度合いは変えるべき。あって間もないならば、あまりドン引きされるような、自分を蔑んだ自己開示よりも、あるあるだよね~みたいな、共感を同意できるテーマにすると吉だと思う。

まずは、共感。相手を100%受け入れる事から始まる。何かと否定から入る癖がある人は大注意だ。「いや・・」とか「でも・・」とかではなく、相手の主張や主観に乗って、オーバーリアクション気味に同調しよう。最近はマスクしてるし、表情も読みづらい。体で不自然にならない範囲で、やると良いと思う。初対面である場合、相手も緊張してこちらを伺っているのだから、そこまで深く踏み入らなくてもよい。あまり不自然にガツガツ「彼女いるの」とか踏み込んでいくと、逆効果なので、注意。(実証済み)

しかしながら、すべてYesマンなのも、相手からすれば反応が単調でつまらないし、或る程度、自分もガタがきてしまう。そこで、自分を出していくのは2.3日以降で、知り合い程度になってきたら、自分の主張も取り入れていけばよい。

高レベルな発展だが。ここで同調と言ったが、友達レベルになってきたら、失礼な事や、「実際には無い事」をダシにして、ふざけてみるのも効果的だ。上手く自然体でいけば、笑いが起き、コミュニケーションがスムーズにいくようになる。ただし、場を間違えると一気に場がしらけるので高難易度な技だ。(そういったキャラだと認められれば話は別)

次に、展開。一つの話題の中で、ずっと話題を変えずに話し続ける事は不可能だ。だからこそ、話の途中で出てきた単語やフレーズから、自分が最近気になっている事とか、関心のある事に持っていき、話題の軸を転々とし続ければ話は持つ。(マニアな話題はあまりNG)

 

書いてる途中で、女子に接するコミュニケーションの取り方について書こうとしたが、何も思いつかなかった。せつねえせつねえ。

 

え??話しかけるときはどうすればよいかだって??

そりゃ・・・もう、気合と根性しか無かろう。といえば、簡単だが、一つ実践して効果があったものを取り上げよう。

それは、話しかける前にその人をじーーーーーっと見つめる事だ。そうすると、いずれかはその人と目が合い、目が合った瞬間に話しかけらざる負えなくなる。

きっかけなんぞ、どうでもよく、それよりも、話しかける前にうじうじして、脳内シミュレーションすればするほど、悪い事ばかりが目の前にちらつき、自信が無くなって、話しかけるハードルは高くなっていく。

まあ、じーーーっと相手を見つめて、目が合った時に言葉が詰まって、時間が空いてしまったら最後、気まずさMAX天井ぶち破り。コミュ障確定演出になってしまう危険性は孕むが。

カラオケが上手い人と歌が上手い人の境界線って?

どうも某都市の大学生です。

歌の上手い人とカラオケが上手い人の境界線ってどこにあるんだろうと常々思いますが、私の見解を述べようと思います。

人に対して歌っているのか、採点の機械に対して歌っているのかによって、歌い方って違ってくると思うんですよね。機械に対して歌うのであれば、ゲームですから、いかに音程やリズムをとり、テクニックを駆使していくかが重要になると思います。それに対して、人に対して歌う場合は、歌一つ一つの意味を考えて、感情を込めて歌っている(もしくはあえて感情を抑えて歌っている)と思います。人に対してどう歌えば聞き手が気持ちよく聞こえるかという聞き手意識もすごく強く意識しているからこそ、やっぱり歌が上手い人と、カラオケが上手い人とは違うなあって感じるのではないでしょうか。

良く言われるのが、カラオケの採点はあくまでもゲームであり、機械が人の歌を採点しているわけだから、音程とか、抑揚とか、ビブラート等のテクニックを盛り込めば、高得点が取れるようになっている。「カラオケが上手い人」なんて、侮辱めいたワードが生まれたのは、人に感動させるとか云々ではなく、感情のこもらない歌い方の方が高得点が取れることから、言われたのかもしれない。

しかし、最近の採点の技術はすさまじく、AIを導入した採点機能では人の感情を揺さぶる”感情表現”までも採点の換算に入れている部分がすごい。

正直、カラオケ大会では、歌声がすごくうまい人でも、高得点取れる人はとっている。歌の上手い人とカラオケが上手い人の境界線は、採点機能の”人の感性をくみ取れる性能”が向上するにしたがって、狭くなっていくのではないかとも思わされる。

別の話ですが、仮説なのですが、「歌が上手い人って生まれつき歌が上手いんじゃね」って思う節が良くあります。真偽は不明ですが、人を感動させる程、歌の上手いプロのミュージシャンのボーカルは、「プロになる前にボイトレを通っていた」率がかなり低いと聞いたことがあります。確かに、歌がもともとうまい人って皮肉ながらいるんですよね。

天性で歌が上手い人は、小さいころから周りに称賛を浴びるわけですから、そりゃ日ごろから歌いますよね。つまり、もともと歌が上手いから、歌う事を楽しみながらずーーーっと小さいころから練習を積んでいくわけですよ。それに比べて、歌が普通レベルの私たち凡夫は、普通レベルから、歌を頑張って好きながらも「うまくならねえなあ・・」と思いながら練習し続けるわけです。

天性で上手い人達は、レベル50スタートで小さいころから無我夢中で練習を重ねていく。我々凡夫は、レベル5スタートで試行錯誤で、歌が好きだから練習を続けていく。そりゃ、極端な話ですが、差が縮まらねえし、うまい人たちは下手な部分も”癖”として自分の魅力に変えちまうんだから、・・・・。世辞辛いっすよね。

そんでもって、私たちは、上手い人たちを真似しようと努力しようと、上手い人たちの歌の魅力である、歌声を聞いたら「B'zだ!」と分かる部分「癖」を練習するわけです。

しかし、その癖はその超絶上手い歌手の下手な部分でもあるわけですから、私たちのような、プロからみたら基本もなっちゃいないアマチュアがそこをまねても、「サブい」「痛い」歌声になっちゃうんですよね。

要するに、癖を真似するんじゃなくて、その歌手のビブラートとか、ハイトーンを出すときの仕草とか、技術面を真似なきゃいけないんです。(まあ、それがむずいんですけども)

 

話が脱線したが、カラオケが上手い人と歌が上手い人の差は、誰しも無意識に感じているもの。「カラオケが上手い」から、「歌が上手い」に転向できた人に、ボイストレーナーとなっていただき、ぜひ学ばせていただきたいものです。

一人でいる事の生き恥・・・学生時代の影響を考えてみる

どうも、某都市の大学生です。

彼女いない歴=年齢のわたくしですが、コロナに対して、外出を控えるムーブメントが抑えられ、彼女が出来ない理由をコロナのせいにする事が難しくなってきた今日この頃です。いやあ、世辞辛い。

未だに、一人焼肉とか、一人で外食する事のハードルを感じてしまいますね。自分が食べているところなぞ、誰も見て等いない事は百も承知なのですが。自意識過剰ですねぇ・・・これは。

これは明らかに、高校生の時の「ぼっち」に対する嫌悪感、絶対悪という風習が関与しています。協調性を重んじる同調圧力の日本の学校がそうさせているのですね。はい。

学生時代って、昼食とか、一人で食べているとなんか、何も悪いことしてないのに罪悪感とか羞恥心とかを感じ、いたたまれなくなるんですよね。(慣れっこですが)

教室でいたたまれずに、野外とかで一人で食っていると、通行人にビビッて昼食を隠すとか、ようやりましたわ。まるで罪人みたいやなあ。

まあ、大学生や社会人になれば、一人で行動することなど良くある事なので、高校生の時よりかは幾分かましにはなりましたが。しかしこれ、自分と同じ境遇の人間は少なくないと思います。同胞の諸君はいらっしゃるのでしょうか。

良くなった点として・・・

一人カラオケが当たり前な時代になってきたりと、一人で行う事がおかしいと思われない「プライベートゾーンを重んじる」風潮によって、ただ、ただ、社会不適合者である私なんて者は、助けられています。

今は一人でカラオケに行く事に慣れましたが、一つ前では、「カラオケは集団で行くもの」という固定観念に汚染されていましたし、カラオケに一人でいるのを見られると「友達いないのかなあ」という目線を少なくとも私は感じていました。(自意識過剰ry)

学生時代は、主に高校時代は、誰が陽キャとか陰キャとか皆気になりだし、陽キャになろうと無理をするキョロ充等も存在してました。(今思えば懐かしい。)

私が思うに、陽キャ陰キャは、遺伝的・環境的な因子によって左右された、決定された”性格”であって、どうにもならないんですよね。一番いいのは、陰キャなら陰キャで固まればよいし、陽キャ陽キャで固まればよいんです。結局、似た者同士が友人となり、学生生活つるむ事になるのだから。無理して、なりきろうとするのは、いずれかボロが出るし、見ていて苦しいです。

でもでも、分かっているけども、陽キャってなんだか魅力的なんですよね。明るくて、ポジティブで、性格が良く、コミュニケーション能力も高いんだから。彼女もできやすく、友達も多い。勝ち組のような存在にも思えてくる・・・。いや、少なくとも、学生の時点では、陽キャってアドバンテージが高いんで、勝ち組なんですが。てか、これ列挙した時、勝ち組以外の何物でもないな。うん。

言わずもがな、この文章からもにじみ出る陰キャさから、私は陰キャなのですが、陽キャの人たちって、陽キャとか、陰キャとか、分けて考えてないんですよね。

この枠組みって、リアルが充実していない人から見た枠組みであって、リアルが充実している陽キャの人々にとっては、分ける必要性が無いんですよ。だから、体育祭とかで「うちのクラス、皆仲良し!!」とか言っちゃうわけですよ。これ、決して悪意があるわけではないと思うんです。彼らにとっては、彼らのグループ内が仲良しであれば、「クラスが仲良し」認定になっちゃうだけなんです。だって、陽キャとか陰キャとかの枠組みなんてないのだから。皆ファミリーなんですよ。Year!みたいな。

しかし、陰キャ陽キャグループに混じれる方法があります。それは、変人度が振り切ってて、おもろい奴認定された奴です。いわゆる、”天然”であるポテンシャルがあれば、有効な手段。(まあ、意図してやったら、”養殖”となり、ただただ痛い奴になりますが。)要するに、馬鹿なキャラになり、性格を良くふるまい、馬鹿にされる事をいとわなければ、いけます。(周りが優しい人間であればいけると思う。ガチャですね。)

 

色々脱線しましたが、一人でいる事の”生き恥”感をどうにかしたいものです。まずは友達づくりからかなあ。。。。イマジナリーフレンドなら、百人いるのですが。これで富士山の上でおにぎりをぱくりぱくりできますね!!(満点大笑)

生きるって、世辞辛いですね。・・・・

 

 

 

 

 

非モテ大学生の持論・語り草

どうも、某都市の大学生です。

まあ、彼女とかそういうモテの類の領域に入れずに、排他的経済水域外の状態な私ですが、(要は彼女歴=年齢)最近、大学生の今の時期を逃したら、30まで童〇卒業せずに妖精確定演出、オワコンなのではないかと焦りを感じる今日この頃であります。

だって、社会人になれば大学生のような時間の余裕はなくなり、恋愛なんぞ、結婚前提になってしまうではないか。遊ぶ猶予・モラトリアムは今しかないのである。

統計的に、大学生での童〇卒業率は4割云々・・のホットドックの情報から、社会人からでも童〇卒業は遅くない・・と思っていたが、よく考えると、一番彼女を作りやすいと言われている大学生でさえも、彼女を得していないのであれば、出会いのより少ない社会人なぞ、出来るわけがないではないか。

そもそも社会人になって出会いはあるのか・・・?コミックによくある社内恋愛なんかも、現実に匆々ないからこそコミックになって、人気が出ているわけですから、そんなものないに等しいのである。

そこで!まずは身なりから整えた。周りを見渡してみた。気づけば、イケている分野に属する彼女持ちのカースト上位達は、毎月美容院に行き、眉毛を整え、ファッションに気を使い、自己研磨しているではないか。それに引き換え、私は1000円カットに、お母さんから買ってもらった高校からの服を使いまわしている。お母さんは何も悪くない。悪いのは、この自分磨きをしない私だ。自分磨きをしない、メンテナンスを怠っている商品に誰が手を付けようか・・?いや、だれも見向きしないのである。

それから私は、美容院に行き、パーマをかけ、ナウいセンター分けの髪に整えた。そして、お母さんのを借りて眉毛をそり、服は、しまむらではなく、オシャンティーな雰囲気のある店、GUでそろえた。(顔が変わってない指摘は御免無用)

そして、私は考えた。小学校では足の速い子がモテる。中高では、スポーティな部活に入ってるカースト上位のイケメン男子がモテる。では、大学生は・・・?

大学生は、内面も関わってきて、勉強がどれくらいできて、気配りが出来て・・とかもモテの要素になり得はしないか。(小中高もそういった要素はあったと思う)

考え方の問題だ。最近身なりを整えてから、童〇卒業だとか、外見に力を注ぐのではなく、内面に磨きを錬磨していかねば、到底歯もたたない真理に気づけたのである。

持論であるが、女性からみる男性のステータスって、『他人<知り合い<友人<いい人<恋人』の5段階あり、このいい人の守備範囲が広い事、広い事。

女性にとって、男性側が優しすぎる人であればある程、このいい人の守備範囲は無限の彼方に広がっていく。女性に何でもかんでも優しくして、優しすぎる自分のような人は、女性の扱い方が分からず、とにかく嫌われたくない一心でやっているのだと思う。逆に言えば、女性の深い神髄まで関わらおうとせず、一枚壁を挟んでいる状態だ。自分も相手に神髄を見せていないのだから、周囲のモブキャラと大差なくなってしまう。

女性側からすれば、自分を特別扱いしてくれない男には振り向かないのだ。女性側からしても、自分にとって魅力の或る良い男性を探し求めているのだから、当然の話である。

こんな事をほざく私だが、実際には経験値が高い猛者が勝つのだ。あんな恋愛漫画のような、純粋で無垢な小鳥が、ヒロインを勝ち取れるのはあくまでも仮想現実での話。現実離れしているからこそ、大衆が求め、上げ奉るのだ。そこをはき違えて、現実世界に持ち込んではならない。即死フラグだ。

女性とのコミュニケーションが物を言い、そのコミュニケーションを磨くには??

実務経験しかないのだ。よって、経験値が高いほど、女性の気持ちをおもんばかる事ができ、女性を虜にできるのだ。だから、自己啓発本など読むよりも、実際にコミュニケーションをとってみる事が手っ取り早い。(やはり言葉で言うのは簡単だなあ・・・)

 

まあ、モテない私がいくら語ろうとも、説得力のかけらもない駄作であるが。

ああ世辞辛い。世辞辛い・・・。天から美少女降ってこねえかな・・・・・

 

いやまてよ・・?俺なんも女性に対して行動してなくね・・・?

高音域の出やすくなるコツ4選!!

どうも、某都市の大学生です。

カラオケ好きな私が、ハイトーンを出しやすくするコツを書き連ねたいと思う。

高校生からハイトーンには憧れて、hihiAだとか、hihihi域だとか、試して苦しんだ頃が懐かしいです。まあ、今でもhihi域とか出せないんだけども。

最近は、高音でも歌に使えないと意味がない事に気づき、地声のように厚みの或る、ハイトーンを目指しています。(高音でもヒョロヒョロな薄っぺらい厚みだと、相手の心に響かせる歌には、応用しづらいと思う)

私も高音厨と呼ばれる輩だったのですが、最近は音程だけでなく、リズムだったり、どう歌えば、よりよく聞こえるかを日々研究しています。

脱線したが、本題に入ろう。やるにしたがって、必ず自分の声を録音する事。自分の現状を知る事から始まる。(普段聞く自分の歌声は、耳の骨に伝わる音の振動+自分の歌声で、周りに聞こえる声とは、全く違う!!注意しよう)

<目次>

  1. 脱力が命!!
  2. 鼻に息が通るように歌う
  3. 腕を上にあげてみる
  4. 歯をむき出しにしてみよう

1.脱力が命!!

「高音になるほど、ビブラート等のテクニックが出なくなる・・・」という経験は誰しもが通ると思う。(一部の超絶天才を除き)

原因は、余計な力が入っているから。改善策は、意識を遠くかなた別のベクトルに向ければ良いんです。上に引っ張られるように歌う、とか、後ろに引っ張られるように歌うだとか、そういった意識の向け方は、力が抜ける要因になる。

後ろに顔全体が引っ張られるように歌う事を意識してみれば、頭蓋骨やらに響いて、高音が出やすくなる。理論はよくわからんが、そんな感じだろう。論より証拠。やってみよう。

びっくりした表情をする・仰向けになって寝てみる・壁に寄り添ってみる・セルフハグをしてみる・・・等、脱力方法はいくらでもある為、試してみてほしい。

又、意識を別のところに向ける手段として、感情を手で表現するものがある。よく、歌が上手い人が良くやっているが、手をゆらゆらさせているだろう。実際に、感情を手で表現する事で、意識を別のところに向けることが出来、良い脱力の状態で歌う事が出来る為、おすすめだ。

2.鼻に息が通るように歌う

意識を鼻の方に向けながら歌うのだ。そうすると、高音がいつもよりも出やすくなる。

コツとしては、鼻から息が漏れるように、あくびをする喉の形で奥を広げてみよう

鼻声になったり、声の厚みが薄くなるかもしれないデメリットも存在する。これは人による為、様々な手法を試してみよう。

3.腕を上にあげてみよう

論より証拠。高音域が苦しくなったら、両腕を上にあげながら歌ってみよう。少しは、高い声が出やすくなるはずだ。

4.歯をむき出しにしてみよう

何言ってんの・・・?怖・・と思われるかもしれないが、ハイトーンボイスを持っている有名な歌手を見て見よう。高音域になると、口をイの形にして、全ての歯が見えるくらいまで歯をむき出しにしている。実際にやってみると分かるが、高音が出やすくなる。苦しい顔(泣き顔)も、赤ちゃんがわめく原理と同じで、高音が出やすくなる。試してみよう。

 

他にも、重心を下げるとか、いろいろな手法があるが、自分の中で効果があったのは上記である。苦しい!とか、最後まで歌いきれない!、喉が痛い!となる場合、発声方法が間違っている場合がほとんど。両手もぶらんぶらんにして、脱力し、無駄な力を入れない事が肝心である。

少しでも、歌の上達に役立てば・・・と思う。