都市大学生の蛇足

日頃考えている事を整理するために書きます。めっちゃ暇な人は足を運んでみてはいかがでしょうか。

考えすぎてしまう性格の生きづらさ

どうも某大学生です。

最近、考える癖をなくした方が、コミュニケーションがしやすくなることに気が付きました。考えれば考えるほど、頭中で会話のシミュレーションをし過ぎてしまい、会話が億劫になってしまうんですよね。「これ話したら、こう反応してくるかな・・」とか考えてしまうのです。考えないようにするとコミュニケーションがうまくいくのは、酒が入ると会話が弾む人の心理と同じで、とにかく話しかけるハードルが低くなるからです。しかし、考えなくなると、自分の弱みとか自己開示がしやすくなったり、ボケやネタを言いやすくなる半面、相手の事に興味がない自分としては、相手が今何に興味があるのかとか、何を頑張っているのかとか忘れてしまって話題が見つからなくなるんです。

 どこまで考えればよいのかが分からなくなってきました。

 考え出すと止まらなくなって、今日会った友達の会話の中での自分の話や態度を振り返って悶絶したりすることはあるあるなので、あんまり考えないようにしていました。しかし、考えないようにすることも度が過ぎてくると、会話の内容が支離滅裂になってきたりして、天然だねとか、器用貧乏だとか言われる始末でいじられる対象になってきており、最近少しは考えるように意識を向けている所存です。

 しかし、どこまで考えればよいのか・・・。考えすぎると、メタ認知がへたくそな私は、悪い方向にとらえてしまい、鬱っぽくなってきますし、少なくともネガティブになって死にたくなってきます。

 友人との対面では「こうボケたりいじったりしたらおもしろいだろうな」とは考えて会話するのですが、それ以外を考える事は話しかける事のハードルを上げてしまうので考えないようにしています。しかし、そうする習慣が身に付きすぎて、仲間内で勉強する時はグループワークする際も「ボケやいじりを優先的に考えてしまう癖」がついてしまって、あまりそれ以外の事を考える事が出来なくてつらいです。だから、一人で作業した方が能率が圧倒的にあがるんですよね。人前のコミュニケーションのやり方がそれ以外できないせいなのか、生きづらい・・・

 最近、既存のグループの中に、自分が参入して遊ぶようになって、「そのグループで受け入れられるようになろう!でも、がつがつすると引かれるし、自然体で行かねばなあ・・・」とか云々考えてしまっています。

 もうすでに出来上がっていて、旅行とかその仲間内で行ったりしているグループの中に最近参入して遊んでいるのですが、そのグループでの自分の立ち回りとか、メンツの役割(いじられ役とかツッコミ役とか…)を考えてしまいます。

 発端としては、遊んでいる時に自分の知らない近日行く旅行の話をされたり、自分の知らない遊びの約束の話をされたりした時からです。まあ、私が誘われるときは、よく遊ぶメンバーが足りない時に呼ばれる「補欠メンバー」としての立ち回りが多いので、こういうのにはある程度の慣れはありますが、心はささくれ立ってしまいます。生きづらいですね・・・。

 遊びには行くが、旅行には呼ばれない、グループには参加しているが、ラインの別のグループで抜きの遊びが行われている…等々…。いやあ、友達と旅行に行ってみたいですし、誰かの家にお泊りするイベントもやってみたいですなあ。

 百も承知で、原因は私にあるのだとはわかっています。コミュニケーションが以上のようにしかできない。がり勉で、趣味がない為に、会話の接点や趣味で集まるグループとの接点が見つかりづらい。だからこそ、自分をいじってもらうために弱みや自分の痛い過去を自白して笑わそうとしたり、相手の反応で「いや・・」とか逆接をせずに、相手の話に共感する事を徹底したり・・・。つまらない人間だからこそ、相手を楽しませようと努力を積んでいるのですが、「補欠メンバー」になってしまう原因がよくわからないのが現状です。それを2人の時に友人に吐露しても、「お前は面白いからそのまんまでいいよ。」と言われる始末で、原因が自分にあるとはわかりつつも判明できてません。

 一つ、最近見つけた仮説は、ラインをためてしまう癖があるところです。私はラインが大の苦手で、人と話すときにスイッチを切り替えるのと同じで、ラインをするときもスイッチを切り替えねばならないので、疲れてしまうのが目に見えているから、億劫になってラインをためてしまうのです。

 しかし、最近は意識して返すように心がけています。ラインはいつでもできるインターネットのコミュニケーションの場だから、人脈を広げたり深めたりするのに打ってつけなことに最近改めて気づいたからです。

 周りの友達の話で、「ネット友達とライブに行く」話が出てきたり、「ネットで友人とゲーム対戦してる」話をよく聞いていたのですが、ゲームに興味のない私は面倒で手を広げてなかった。しかし、ネットを介するゲームの重要な点は、友人の交流を深めるのに必要な「会話」にあり、その会話がネットを介してよく行われている事にあるのだと気付きました。

 ここまで、この記事を読んでくださる人はいないとは思いますが、読んでくれている皆さんにはこれは当たり前のことなのだと思います。私が最近やりたいと思っている事はこれで、「友達とネットを介して毎日ゲームをやってみたい」です。要は、人とつながっていたいんですよね。

 しかし、そういったゲームって「APEX」とか「スマブラ」とか、総プレイ時間数に比例して上達するゲームが多いので、やはり自分ひとりでプレイしなければならないと思っています。(ゲームに興を見いだせない自分にとって少し苦痛・・)

 やっている友人に上達のすべを教えてほしいと頼むのも親睦の近道だと思うし、人には「教えたい欲」があるし、頼ることの重要さも理解しているのですが、初めてのことなので勇気があまり出ない・・・。

 以上のことも、いろいろ考えて来ましたが(考えすぎて来ましたが)、ゲームって好きだからやっているもので、努力してやる物でもないと思うのです。

 趣味の中に「会話」があるから、こうした価値を見出せている。とするなら、その趣味はなんだっていいはず。

 だから、私は趣味を見出す為にすこし努力をしてみようと思います。まずは、せっかく買ったスマブラの練習でもしてみようかな、と。