都市大学生の蛇足

日頃考えている事を整理するために書きます。めっちゃ暇な人は足を運んでみてはいかがでしょうか。

カラオケが上手い人と歌が上手い人の境界線って?

どうも某都市の大学生です。

歌の上手い人とカラオケが上手い人の境界線ってどこにあるんだろうと常々思いますが、私の見解を述べようと思います。

人に対して歌っているのか、採点の機械に対して歌っているのかによって、歌い方って違ってくると思うんですよね。機械に対して歌うのであれば、ゲームですから、いかに音程やリズムをとり、テクニックを駆使していくかが重要になると思います。それに対して、人に対して歌う場合は、歌一つ一つの意味を考えて、感情を込めて歌っている(もしくはあえて感情を抑えて歌っている)と思います。人に対してどう歌えば聞き手が気持ちよく聞こえるかという聞き手意識もすごく強く意識しているからこそ、やっぱり歌が上手い人と、カラオケが上手い人とは違うなあって感じるのではないでしょうか。

良く言われるのが、カラオケの採点はあくまでもゲームであり、機械が人の歌を採点しているわけだから、音程とか、抑揚とか、ビブラート等のテクニックを盛り込めば、高得点が取れるようになっている。「カラオケが上手い人」なんて、侮辱めいたワードが生まれたのは、人に感動させるとか云々ではなく、感情のこもらない歌い方の方が高得点が取れることから、言われたのかもしれない。

しかし、最近の採点の技術はすさまじく、AIを導入した採点機能では人の感情を揺さぶる”感情表現”までも採点の換算に入れている部分がすごい。

正直、カラオケ大会では、歌声がすごくうまい人でも、高得点取れる人はとっている。歌の上手い人とカラオケが上手い人の境界線は、採点機能の”人の感性をくみ取れる性能”が向上するにしたがって、狭くなっていくのではないかとも思わされる。

別の話ですが、仮説なのですが、「歌が上手い人って生まれつき歌が上手いんじゃね」って思う節が良くあります。真偽は不明ですが、人を感動させる程、歌の上手いプロのミュージシャンのボーカルは、「プロになる前にボイトレを通っていた」率がかなり低いと聞いたことがあります。確かに、歌がもともとうまい人って皮肉ながらいるんですよね。

天性で歌が上手い人は、小さいころから周りに称賛を浴びるわけですから、そりゃ日ごろから歌いますよね。つまり、もともと歌が上手いから、歌う事を楽しみながらずーーーっと小さいころから練習を積んでいくわけですよ。それに比べて、歌が普通レベルの私たち凡夫は、普通レベルから、歌を頑張って好きながらも「うまくならねえなあ・・」と思いながら練習し続けるわけです。

天性で上手い人達は、レベル50スタートで小さいころから無我夢中で練習を重ねていく。我々凡夫は、レベル5スタートで試行錯誤で、歌が好きだから練習を続けていく。そりゃ、極端な話ですが、差が縮まらねえし、うまい人たちは下手な部分も”癖”として自分の魅力に変えちまうんだから、・・・・。世辞辛いっすよね。

そんでもって、私たちは、上手い人たちを真似しようと努力しようと、上手い人たちの歌の魅力である、歌声を聞いたら「B'zだ!」と分かる部分「癖」を練習するわけです。

しかし、その癖はその超絶上手い歌手の下手な部分でもあるわけですから、私たちのような、プロからみたら基本もなっちゃいないアマチュアがそこをまねても、「サブい」「痛い」歌声になっちゃうんですよね。

要するに、癖を真似するんじゃなくて、その歌手のビブラートとか、ハイトーンを出すときの仕草とか、技術面を真似なきゃいけないんです。(まあ、それがむずいんですけども)

 

話が脱線したが、カラオケが上手い人と歌が上手い人の差は、誰しも無意識に感じているもの。「カラオケが上手い」から、「歌が上手い」に転向できた人に、ボイストレーナーとなっていただき、ぜひ学ばせていただきたいものです。