都市大学生の蛇足

日頃考えている事を整理するために書きます。めっちゃ暇な人は足を運んでみてはいかがでしょうか。

一人でいる事の生き恥・・・学生時代の影響を考えてみる

どうも、某都市の大学生です。

彼女いない歴=年齢のわたくしですが、コロナに対して、外出を控えるムーブメントが抑えられ、彼女が出来ない理由をコロナのせいにする事が難しくなってきた今日この頃です。いやあ、世辞辛い。

未だに、一人焼肉とか、一人で外食する事のハードルを感じてしまいますね。自分が食べているところなぞ、誰も見て等いない事は百も承知なのですが。自意識過剰ですねぇ・・・これは。

これは明らかに、高校生の時の「ぼっち」に対する嫌悪感、絶対悪という風習が関与しています。協調性を重んじる同調圧力の日本の学校がそうさせているのですね。はい。

学生時代って、昼食とか、一人で食べているとなんか、何も悪いことしてないのに罪悪感とか羞恥心とかを感じ、いたたまれなくなるんですよね。(慣れっこですが)

教室でいたたまれずに、野外とかで一人で食っていると、通行人にビビッて昼食を隠すとか、ようやりましたわ。まるで罪人みたいやなあ。

まあ、大学生や社会人になれば、一人で行動することなど良くある事なので、高校生の時よりかは幾分かましにはなりましたが。しかしこれ、自分と同じ境遇の人間は少なくないと思います。同胞の諸君はいらっしゃるのでしょうか。

良くなった点として・・・

一人カラオケが当たり前な時代になってきたりと、一人で行う事がおかしいと思われない「プライベートゾーンを重んじる」風潮によって、ただ、ただ、社会不適合者である私なんて者は、助けられています。

今は一人でカラオケに行く事に慣れましたが、一つ前では、「カラオケは集団で行くもの」という固定観念に汚染されていましたし、カラオケに一人でいるのを見られると「友達いないのかなあ」という目線を少なくとも私は感じていました。(自意識過剰ry)

学生時代は、主に高校時代は、誰が陽キャとか陰キャとか皆気になりだし、陽キャになろうと無理をするキョロ充等も存在してました。(今思えば懐かしい。)

私が思うに、陽キャ陰キャは、遺伝的・環境的な因子によって左右された、決定された”性格”であって、どうにもならないんですよね。一番いいのは、陰キャなら陰キャで固まればよいし、陽キャ陽キャで固まればよいんです。結局、似た者同士が友人となり、学生生活つるむ事になるのだから。無理して、なりきろうとするのは、いずれかボロが出るし、見ていて苦しいです。

でもでも、分かっているけども、陽キャってなんだか魅力的なんですよね。明るくて、ポジティブで、性格が良く、コミュニケーション能力も高いんだから。彼女もできやすく、友達も多い。勝ち組のような存在にも思えてくる・・・。いや、少なくとも、学生の時点では、陽キャってアドバンテージが高いんで、勝ち組なんですが。てか、これ列挙した時、勝ち組以外の何物でもないな。うん。

言わずもがな、この文章からもにじみ出る陰キャさから、私は陰キャなのですが、陽キャの人たちって、陽キャとか、陰キャとか、分けて考えてないんですよね。

この枠組みって、リアルが充実していない人から見た枠組みであって、リアルが充実している陽キャの人々にとっては、分ける必要性が無いんですよ。だから、体育祭とかで「うちのクラス、皆仲良し!!」とか言っちゃうわけですよ。これ、決して悪意があるわけではないと思うんです。彼らにとっては、彼らのグループ内が仲良しであれば、「クラスが仲良し」認定になっちゃうだけなんです。だって、陽キャとか陰キャとかの枠組みなんてないのだから。皆ファミリーなんですよ。Year!みたいな。

しかし、陰キャ陽キャグループに混じれる方法があります。それは、変人度が振り切ってて、おもろい奴認定された奴です。いわゆる、”天然”であるポテンシャルがあれば、有効な手段。(まあ、意図してやったら、”養殖”となり、ただただ痛い奴になりますが。)要するに、馬鹿なキャラになり、性格を良くふるまい、馬鹿にされる事をいとわなければ、いけます。(周りが優しい人間であればいけると思う。ガチャですね。)

 

色々脱線しましたが、一人でいる事の”生き恥”感をどうにかしたいものです。まずは友達づくりからかなあ。。。。イマジナリーフレンドなら、百人いるのですが。これで富士山の上でおにぎりをぱくりぱくりできますね!!(満点大笑)

生きるって、世辞辛いですね。・・・・